日髙暖己がカープで過ごした1年。野村祐輔からもらったアドバイスで良い感覚に。来季に向けて成長を見せる
今年に入ってすぐのことだった。
1月5日、国内FA権を行使してオリックス バファローズに移籍した西川龍馬選手の人的補償として、日髙 暖己(ひだか あつみ)投手を獲得したと発表した。
若い世代の投手を育てていきたいというチーム方針だったが、19歳という若さで移籍となった日髙も最初は驚きが大きかったと話す。
日髙暖己がこの1年で吸収したもの
オリックス時代は同じ宮崎県の高校出身でエースだった現ドジャースの山本由伸投手をお手本にしていて、準備の仕方など色んなことを学んだ。
カープに移籍が決まったことを山本に報告をすると「やることは変わらないから頑張れ」と激励の言葉が届いたという。
一軍登板はまだ無いが、プロ1年目の昨季は二軍で12試合に登板し(そのうち先発は1試合)1勝1敗で防御率3.15の成績を残した。
カープに移籍してきた今シーズンは2月25日に行われたJR九州との練習試合で登板後に右脇腹の痛みを訴え、リハビリ組の3軍に合流となった。
スタートこそは自分の理想形とはならなかったが、この1年間はファームで14試合に登板、その内先発は9試合だった。
リリーフでの出場機会を経験したのちに、9月10日のくふうハヤテ戦では先発起用。そこからは徐々に長いイニングを任せてもらえるようになっていった。
まだまだ若い、焦らずにチームスタッフとも今やるべきことを1つずつ着実に進めていった。
そんな日髙が今シーズン初めて良い感覚で投げられたと話すのが9月17日に由宇で行われた中日戦だ。
先発した日髙は初回から毎回ランナーを出すが要所をしっかりと抑えて6回までは無失点。
7回に先頭を歩かせて、続く打者は打ち取り1アウトを取ったが、9番川上理偉にツーベースを打たれて降板となった。
「この試合では真っ直ぐを強く、そしてその真っ直ぐでカウントを取ることを意識して投げて、変化球も効果的に使えていたので良かったです。自分でも良い感覚が残る投球ができたので、これを続けられるように、そしてより良くしていきたいです」と振り返った。
投手コーチとは「ゾーンで勝負できる球をどんどん増やしていく」と課題を話している。
広島に来て1年目、一つの転機があった。
今季限りで現役を退いた野村祐輔と大野練習場でキャッチボールを一緒にしていると、「右手が力み過ぎている」と突然声をかけられた。
元々日髙はこの“右腕の使い方”で悩んでいたという。
「うまく腕が走らないなと悩んでいたところに祐輔さんからアドバイスをもらって、意識しながらキャッチボールを続けてみたらうまくハマっていった感覚です」。
尊敬する先輩が引退前に残してくれたアドバイスは日髙のカラダに染み込んだ。
日髙は小学1年生のときにソフトボールを始め、中学からは軟式野球部に入部。硬式野球を始めたのは高校に上がってからだった。
兄が2人おり、それぞれ富島高校で野球をやっていたため、背中を追うように同じ野球部に入部した。
そして家族の夢だった“プロ野球選手”に、末っ子だった日髙がその夢を叶えた。
子供の頃から“どんなことにも負けず嫌い”な性格で、野球が上手くなるのならと野村克也さんの著書を読んだりと、気になるものは率先して手を出してきた。
富島高校時代の浜田監督からは「球道即人道、野球は人生そのものだ」と教わった。
プロに入って入寮する際にはその浜田監督からプレゼントされた武田双雲著の「丁寧道 ストレスから自由になれる最高メソッド」を持ち込み、“ひとつの行動を五感で楽しむ”ということをこの本から学んだ。
今年まだ20歳になったばかりだが、プロ野球選手としてだけではなく、ひとりの社会人としてもっともっと成長できるようにと、全ての物事に真摯に向き合う。
自身が思う理想系は「9回を投げ切れる力」を付けること。
「今はまだまだ強化選手なので、1つでも早く飛び出るところを作っていきたいです」。
現在宮崎県で行われているフェニックスリーグ(10月28日まで)に参加中の日髙は色んな課題と向き合いながら、来季に向けて成長していく。
ライター・ゴッホ向井