二俣翔一の家族との絆。『新井監督は僕たちのことも本当に見てくれていたんだ』
新井貴浩監督は昨年の秋季キャンプで選手たちにこう伝えた。「一軍だからとか二軍だからじゃなく、どこでやっていても自分は見てるよ」と。
今季は育成ドラフト2位で入団したルーキーの中村貴浩が、シーズン開幕してすぐの5月には支配下登録となり一軍での戦力になったり、プロ2年目の田村俊介も怪我をするまでの一軍での活躍は近い未来を楽しみにさせてくれる逸材だった。
例年よりもファームで活躍した選手が一軍に呼ばれるスピード感であったり、監督自ら二軍の由宇練習場に視察に伺ったりと、チーム全体を常に戦力だと考えながら、一軍二軍の連携がうまく取れているように感じたシーズンだった。
■プロ3年目の二俣翔一
今季、コロナ特例ではあるがシーズン後半の9月初旬に二俣翔一が一軍にプロ初昇格をした。短い期間ではあったが、一軍で過ごした時間は二俣にとって何かのキッカケを掴むための“財産”になったのかもしれない。
マツダスタジアムの室内練習場にて、全体練習終わりで打撃マシンを相手に二俣はひとりバッティング練習を続けていたのだが、その後ろには練習を見つめる新井監督がいた。
そこで突然新井監督から「バッティングどう?」と質問をされた。そして「ファームでの試合映像もちゃんと見てるよ」と伝えられた。
二俣は「カウントがツーボール、ノーストライクでベンチから打てのサインが出たときなんですが、相手投手もやっぱり四球だけは出したくないので、次の球はストライクゾーンに投げてくる可能性が高い、ただその真っ直ぐを仕留められてないっていう感覚があるんです」と相談をした。
新井監督は「打とう打とうとしてるとき、前屈みにホームベース側に倒れてると150キロとかの速い真っ直ぐが来たときの反応がうまくできない、一回で、ワンアクションでクルって回る動作ができないといけない。しっかりと両目で見ながら肩のラインを変えずに…」と話を進めながらバットを手に取り自ら「こうすればいいよ」と目の前でスイングを見せてくれた。
マシン相手に新井監督は約30球ほどバッティングを見せてくれ、途中交互に代わりながら、その都度アドバイスをくれた。
以前から新井監督の現役時代のバッティングを過去の動画などでよく見ていた二俣は、今の新井監督のスイングを目の前で見て、無駄がなく本当に綺麗に自然体で打っているなと驚いた。
「自分なんかは甘い球がきたら『よし、打ってやろう』って逆に力んで煽っちゃうクセがあるんで、ツーボールノーストライクからでも自然体でクルッと回って新井さんみたいなバッティングをしたいです」
この日、新井監督は最後に「打てないときに、フォームに無駄があるとかバットの位置をこうしたらいいとかじゃなくて、打つためにはどうしたらいいのかっていう逆算で考えていった方が確実性も上がるのが早いよ」とアドバイスをくれた。
手応えはすぐに感じた。ファームに戻った翌日の試合で代打で打席を迎えた。ファーストスイングで捉えた打球はホームランになった。
「完璧な当たりではなかったんですが、新井監督に教わった打撃スタイルをやり続けるという想いで練習から取り組んでいたので入って良かったです。弾道の高い打球でもしっかりとスピンがかかって良い角度に入るというホームランを増やしていきたいです」と、打席を振り返った。
■大好きだった野球がつらい時期もあった
「父からは『ファームに落ちるの早かったな!まぁ特例だから仕方ないか』って連絡がきました(笑)」二俣と話をしているとよく父親の話題が出てくる。家族は地元の静岡県から応援をしてくれているのだが、高校を卒業してから広島に飛んだ息子のことは常に心配だ。野球との出会いは、そんな父親から受けた影響が大きかった。
当時の父はかなり情熱的で野球への向き合い方に関してはとても厳しく、小学生の頃にピッチャーだった二俣は試合で失点をしたその日は家に帰ってから玄関で正座をするという家族ルールがあった。
二俣パパに当時の話を聞くと、「厳しく教えてましたね(笑)。でも一生懸命に頑張っていましたよ。野球が大好きで、高校時代なんかは仲間と過ごした時間が宝物だったと思います。私の前では全然折れて泣いたりしなかった息子が、高校三年生の最後の大会での試合終わりで負けて泣いていました。翔一が野球で泣く姿を見たのはそれが初めてでした」と、今ではとても柔らかい表情で当時の話を聞かせてくれた。
二俣はそんな父にプロに入ってから一度だけ弱音を吐いたことがあった。なかなか結果が出ない日々が続き、レベルの高いプロ野球という世界で壁にぶち当たったときに“野球を辞めたい”と愚痴をこぼしたことがあったそうだ。悩んでいる息子に父の返事は真っ直ぐだった。
「何を言ってんだ。今まで頑張ってきたんだろう?その頑張りをみんなちゃんと見てくれているんだぞ。そんなこと口に出しちゃだめだ」と声をかけた。親は子供たちを色んな面でサポートすることはできるが、一番は子供をとにかく信じて、見守ってあげることなのかもしれない。
そんな二俣パパにはずっと大事に使っている宝物がある。それは息子がカープに入団してから初任給で買ってくれた財布だ。できるだけ汚さないようにと大切に日頃から持ち歩いている。
今年初めて由宇練習場で会えて直接その財布を見せてもらったのだが、「今までずっと支えてくれた両親に恩返しをと初任給で財布をプレゼントしました」と二俣からは1年目のときに聞いていた。
「次は一軍の舞台で活躍するところを見せられたらもっと親孝行になると思います」
と、二俣翔一は言う。
「次は一軍で翔一が試合に出て活躍してくれたら嬉しいなぁ」
と、二俣パパは言う。
父と子の目標は同じだ。
取材・ライター/ゴッホ向井