「もう一度上がってこい、期待してるからな」田村俊介が新井監督からもらった宿題とは
不運にもデッドボールを受けての今はリハビリ中。それでも腐らずにやるしかない。その男は昨年高校を卒業して、夢をスタートさせたばかり、今季がプロ2年目のシーズンだ。
「”田村俊介”この名前覚えておいて。」
彼が1年目のとき、春季キャンプの取材でコーチ陣から言われた言葉。
愛工大名電高出身、高校最後の大会ではマウンドに立っていた。最速145キロをマークするサウスポー。そして打者としては高校通算32本塁打のスラッガーだった。
プロの世界に入るタイミングで野手1本でいくと決めたのだが、外野の守備練習を始めたのは背番号1を付けた最後の夏が終わってからだった。
高校を卒業してカープに入団してからの1年目は決して順風満帆なルーキーイヤーでは無かった。春、すぐに怪我を経験し、スタートは出遅れた。復帰したあとも2度目の怪我で離脱。ただその環境が自分を見つめ直す出会いに繋がった。
「怪我をしたときに、西川龍馬さんがたまたま二軍にいて一緒にやらせてもらったんですけど、そのときに色々とプレーのアドバイスをもらいました。
プロに入ってから打席でのタイミングの取り方で悩んでて、今まではずっしりと構えてたところを足踏みのような感じでピッチャーの動きに合わせるように変えてみました。」
西川龍馬もコンディション不良で二軍での調整期間があった。たまたま同じ時期に2人は同じ場所で過ごすことになったから繋がった。
「怪我をして試合から離れてしまった。ただ治してチームに戻るんじゃなくて、怪我の前よりも成長して戻ってくることができたかなと、この時間が自分の中で財産になったと思います。」
“誰よりも負けず嫌い” 田村俊介の性格を家族がこう語る。
他の選手に出遅れた悔しさだったり、体の痛みだったり、変に焦ってしまう可能性もある状況で、彼は冷静に、マイナスに捉えずに進化した。
■家族と家族
2年目の春。田村は春季キャンプから一軍に帯同し、毎日を濃く過ごした。キャンプで会ったときに何度も話をしたが、常に表情は明るく「身体はバッキバキですけど、毎日楽しいです。早く結果を出したいです。」と話していた。日南では仲の良い先輩の木下元秀も常に近くにいたので安心感もあっただろう。練習オフ日に西川龍馬からご飯に誘われた木下が「田村も連れて行っていいですか?」とお願いをしてくれて、一緒にご飯も食べたという。そして、がむしゃらにしがみついた一軍のキャンプを完走し、田村は初の開幕一軍の切符を掴み取った。
年末年始、実家に帰ったときに”今年はいい報告をできるように頑張る”と家族と約束をしていたので、すぐに母親に電話で報告をした。「お母さんからは「よう頑張ったなぁ」と言ってもらい、お父さんからは「開幕一軍はスタート地点で、ここからが勝負やからね。結果を出して頑張れ」と言われました。」両親は田村にとって1番の味方だ。
実家には田村家の宝物がある。それは息子が小学生のときからだんだんと増えていった大会で優勝したときのメダルだ。何度見ても嬉しくて、目に見えるところに大事に飾っている。
プロ野球が開幕し、家族にまたすぐにいい報告をしたかったが、2打席立った結果は幸先よくプロ初ヒットとはいかなかった。開幕してからの一軍の世界は空気感が全く違った。重い緊張感も味わった。そして4月に入ってすぐにファームに移動することが告げられた。新井貴浩監督からは、『二軍でしっかり打席数も立たせてもらって、結果を出してからもう一度上がってこい。次呼ぶ時にはレギュラーで、スタメンで使えるぐらい頑張ってこい。期待してるからな。』と声をかけてもらった。オフシーズンに田村が自ら志願して一緒に鹿児島で自主トレを行なった師匠・松山竜平からも「しっかりやってこいよ」と言ってもらった。
再び一軍の舞台に戻る為に。田村はまた大きく成長して帰ってきてくれるはずだ。
「野球漬けの毎日が楽しい」
その努力の先で必ず成功するというイメージはできている。カープという”家族の一員”で、一緒に喜ぶために。
取材・ライター/ゴッホ向井ブルー