【プレイバックCARP】北別府学と広島市民球場

2023年6月16日、カープの大エース北別府学がこの世を去った。65歳だった。積み上げた白星は213。かつての本拠地、広島市民球場は「自分を育ててくれた球場」だったと語っていた。

 

 

「自分が生まれた年に広島市民球場ができたのも何かの縁だと感じていました。」

カープが初優勝を果たした1975年、ドラフト1位でカープに入団した北別府学。元チーフスカウトの備前喜夫は「軸になる投手だと思いました。ゲーム度胸もあったし、うちのエースになる。絶対獲るべきだ」と話していた。

 

北別府が初めて広島市民球場の姿を見たのは、入団発表のあと。その時のことをこう振り返っていた。

「入団発表を終えたスタンドに上がったんですけど、そのときに『あぁ~、大きい球場だな』と思ったのが第一印象でした」。鹿児島出身の北別府にとって、当時の広島市民球場はまさに夢の器だったのだろう。

狭いと言われ、投手泣かせの球場だったが北別府に悪い印象は残っていなかった。実際213勝のうち半分以上を広島市民球場であげている。

「マウンドのバランスとかホームまでの距離とか、あそこで育ててもらったというか、あそこで基礎が出来上がったと思います。私の基礎になった球場でしょうね」。

 

北別府にとってこの球場で忘れられない試合が2つある。1つ目は1982年の開幕戦。初の開幕投手を任せられた北別府は見事完封勝利を記録すると、その年20勝をあげる活躍を見せた。

もう一つは通算198勝目をマークした試合。当時の球団記録で、長谷川良平さんが持っていた197勝を抜いた試合だ。北別府学の名を市民球場にしっかりと刻んだ。

(2010年取材)

 

 

CarpCarpCarp編集部

 

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