【持丸泰輝】地元北海道での経験と新井監督から言われた「這い上がれ」を糧に、再び一軍へ
「地元の北海道で試合があるから行ってこい!」
チームから嬉しい報告を受け、3月に行われたエスコンフィールドHOKKAIDOでのオープン戦に向けて、持丸泰輝は一軍に合流した。
北海道出身選手は5年目の持丸、2年目の斉藤優汰、ルーキーの滝田一希の3人だ。
新井貴浩監督は「遠い北海道の地で親も心配していると思う。息子さんは頑張っていますよ、というのを直に見せてあげたい」と若鯉たちの活躍に期待を寄せた。
■ 地元凱旋は悔しい内容となった
今年の3月12日から14日の3日間。
エスコンフィールドHOKKAIDOで行われた日ハム対カープのオープン戦に、持丸の家族は旭川市から車で全試合を観にきてくれていた。
1戦目は代打で出場し、そのままマスクも被り、2戦目は途中から守備で出場。
そして3戦目は9番キャッチャーでスタメン出場と凱旋試合は沢山の出番をもらった。
しかし、本人の思うようなプレーを見せることは出来なかった。全4打席でヒットはでず、守備でもミスが出た。
「3年目の初スタメンのときと同じミスをしてしまっているので、今終わってみると正直、技術以外のところもあるなと思います。気持ちの部分でビビって野球をやっているのかなと感じました」。
周りに圧倒され、一軍の雰囲気に飲み込まれてしまい、ファームでしっかりやってきた自分のプレーが出来なかった。
「坂倉さんには色々と気を遣ってもらい、試合中もイニング間で『頑張れ』と常に声をかけてもらいました。自分がああいう結果になってしまったので、ピッチャーの方に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいです」
地元凱旋で活躍する姿を今回は見せられず悔しさが残った。
ただ、家族は違った。息子が野球をしている姿を応援することができた。
家族みんなから「ちゃんとプレーしているところをやっと見れて良かったよ」とLINEが入っていた。
もっともっと頑張らないとダメだと気持ちがより一層引き締まった。次こそは活躍した姿を見てもらうために。
■ 父と野球
持丸は社会人野球をやっていた父を見て野球を始めた。小さいころから一緒にキャッチボールをするのが楽しみだった。
小学2年生の時に「お父さん野球やりたい」と言ってきた泰輝少年。
「すごく嬉しかったです。これだけで親孝行です(笑)」と父・知己さんが当時を振り返る。
知己さんも小学生の頃からずっとキャッチャーで、社会人でもおよそ10年間プレーした。
夢はもちろんプロ野球選手で、憧れは南海ホークスで背番号19を付けていた名捕手・野村克也さんだった。
そんな知己さんの日課は、ファームで息子が出ている試合を仕事の休憩時間でチェックすることだ。長い会議のときは結果が気になって仕方がない。
他にも、息子が活躍した日はプチ贅沢をする。普段はあまり飲まないが、特別にリビングで1人、ゆっくりと晩酌を楽しむそうだ。
晩酌のお供は、野球速報など息子が活躍したときの画面のスクリーンショットをずっと見返している。試合映像も探しまくって、観まくっていると言っていた。
今回、北海道でのオープン戦で、久しぶりにプレーする息子の姿を目の前で応援することができた知己さんは、エスコンフィールドでの3戦目、スターティングメンバー紹介で“持丸泰輝”とコールされた瞬間、感動のあまり涙が出てきたそうだ。
そして、一生懸命プレーする姿を見られただけで喜びは大きかった。
持丸は北海道での試合終わりで家族に「次はマツダで、一軍でプレーするときに招待出来る様に頑張るわ」とLINEを送った。
「ファームに落ちる時に新井監督から『常に一軍に這い上がるという気持ちを忘れるな』と言われました。自分はもっともっと泥臭くやらないといけない立場なので、一軍で活躍するために、二軍でしっかり頑張ります」。
まずは再び一軍へ上がるため、北海道での経験と新井監督から言われた言葉を糧に、目の前の1試合1試合に全力で臨む。
ライター・ゴッホ向井