期待高まるキーマン!秋山翔吾論〜その②〜【カープ道】

昨年カープに電撃移籍。迎えた2年目のシーズンは開幕から絶好調の稀代のヒットメーカー秋山翔吾選手。そこで広島ホームテレビ『カープ道』では、何かとゆかりのある人たちを緊急招集し、秋山選手の魅力に迫る。

前回は、誕生日(4月16日)と出身地(神奈川県横須賀市)が同じだという廣瀬隼也アナと、カープで8年間プレーした後、西武で2年間、秋山選手とチームメイトだった木村昇吾さん。

そして、日々カープを取材する番記者で『カープ道』ファミリーの朝日新聞社・辻健司さんが登場。絶好調のワケから、ここでしか知り得ない数々の逸話までを語り尽くした。

 

カープ道

 

今回は加えて、大学時代の恩師でもある東日本国際大学野球部監督の藤木豊さんがリモート出演。ヒットメーカーのルーツを語ってもらう。藤木さんは、八戸大学の監督時代に、8人のプロ野球選手を送り出した名匠。「秋山選手は高3の夏、高校選手権の前にケガをしてしまい、ドラフト指名がなかった。それが心残りで“4年後には必ずドラフト指名されるんだ”という意識を持って大学に入学してきた」と、藤木さんは振り返る。

 

カープ道

 

当時からプロ注目の逸材だった秋山選手。類まれなバッティングセンス開眼のきっかけは大学時代にあった。「守備力はプロでも通用するレベルで申し分なかったが、打撃力では、“2度引き”のクセがあり、劣っていた」と藤木さん。“2度引き”とは、テイクバックの時に、もう一度バットを引くため、タイミングが遅れてしまうこと。

そのクセを修正するため、時間があればバットを振り、寮にある大部屋の畳を4年間でボロボロにしたと言う。クセを克服し、バッティングの才能が開花。さらに、「日々鍛えていたので鋼のような肉体をしていた。大学のオープン戦を含め、1年からフル出場したのは彼だけ。大学ではケガがなかった」と称える。

 

カープ道

 

野球に打ち込む中、仲間にだけ見せた意外な一面もあるという。「4年生を送る送別会で、毎年ひとりで芸をやっていた。あの真面目な秋山選手が張り切ってやっていた。ただただ、それだけがおかしかった。自分がプロデュースしたのだろうが、秋山選手以外だと面白くなく、価値がない」と、藤木さんはとっておきのエピソードを披露した。

 

カープ道

 

カープ番記者の辻さんは、「秋山選手は3年生の時に卒業の単位を全て取っており、4年では野球に打ち込む環境にしていた」と、語り継がれる秋山伝説を語り、それは同じ八戸学院大学(旧・八戸大学)の後輩の大道温貴投手の耳にも届いていたという。4年間待ちに待った運命のドラフト会議の日。指名を受けた瞬間、藤木さんは秋山選手と抱き合って喜んだという。

 

カープ道

 

2010年ドラフト3位で西武に入団。「その年の3月に、オープン戦を見にきてほしいと言われて行った。試合前の練習を見ていて、外野手としての守備力がプロの中でも長けていた。守備だけでもやっていける」と確信したという。その言葉通り、西武時代に三井・ゴールデンクラブ賞を6回受賞。バッティングでも2015年シーズン最多安打216で日本記録を樹立した。

 

メジャーを経て、昨年シーズン途中でカープに電撃移籍した秋山選手。藤木さんは「探究心があるプレーヤー。とことん野球を突き詰めて、自分が納得するまで、やり尽くして欲しい」とエールを送る。西武でチームメイトだった木村さんも「今年はやりたいように、やれていると思う。元気でケガなくシーズン送ってほしい。それさえクリアすれば、成績を残すことに間違いない」と話し、さらなる秋山選手の活躍に、期待を高めた。

 

カープ道

 

広島ホームテレビ『カープ道』(水曜深夜) 5月10日放送

ライター 湯谷葉子

 

LINE はてブ Pocket