ファンの数だけカープ色の人生がある!お宅訪問でエピソードを聞く 【カープ道】

 

皆さんはなぜカープファンに? 広島ホームテレビ『カープ道』では、試合後の「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(以下、ズムスタ)」で帰路につくのファンの方々を直撃。許可をいただければお宅まで同行取材し、カープ愛溢れるエピソードを聞こうとする。

 

直撃したファンは67人。そのうち、お宅に同行取材したのは2人。6月24日の試合後に声をかけたのは、福山市内に住む田和重利さん。孫の篤義くんと一緒に訪れていた田和さんは、5年前まで広島市内で設備機器や空調機器の販売会社を経営し、年間5〜6億を売り上げていたという。現在はリタイヤし、故郷の福山市在住。「福山でもよければ」と快諾いただき、福山駅までは新幹線で。駅からは自家用車で帰宅する田村さんに同行取材を敢行した。

 

玄関を入ると、カープ選手の写真がお出迎え。リビングには、安仁屋宗八さんのサインボールやカープクッションなど、見渡す限りカープグッズが置かれる。買い始めて14〜15年になるという年間指定席の購入特典の記念品もずらり。お気に入りは、往年の名投手・長谷川良平さん。「大昔、ラジオで野球中継を聞いていて、実況アナウンサーが“浮き上がって、沈む球”

と長谷川投手の球を表現していたことが忘れられない。小柄な投手で大好きだった」と懐かしむ。

 

以前は、カープの選手寮「三篠寮」(1958年〜2011年)の近くに住んでいたという田和さん。「当時は、小林誠二さん、北別府学さん、高橋慶彦さん、木下富雄さんあたりが寮にいたのではないか。近くの中華料理店に食べに行くとバッタリ選手に会ったり、当時の練習場は今と比べて狭かったので練習する姿を見られたり。身近だったので、カープが好きになったのかも」と振り返る。

 

「何が趣味かと聞かれると、カープ観戦と答える。新井貴浩監督は1年契約となっとるが、オーナーは4〜5年任せるつもりだという話も聞く。ようやっとる。最高よ」と、新指揮官を称える田和さん。同行したディレクターは「帰りも福山駅まで送っていただき、カープファンに悪い人はいないと実感した」と感想を。スタジオゲストのザ・ギース尾関高文さんは「カープファンとしての長さと熱がすごい」と感動を覚えたようだ。

 

続いては、6月18日“父の日”に、娘家族と試合観戦していた掛谷美登里さん。「今年観戦は4試合目」と言い、観戦に必須のリュックとポーチ姿の掛谷さんと、自宅のある東広島市高屋町へ。西高屋駅からの車中、「交流戦は毎年行く。ソフトバンク戦が楽しい。柳田悠岐選手の妹さんが学校の先生で、孫の担任だった」と明かした。

 

家の中には、当選してヒーロー選手と写真撮影した孫たちの写真が並び、和室には、昨年11月15日に73歳で亡くなったご主人・政吏さんの遺影が。その側に飾られた家族のアルバムは「主人が入院して、意識が遠のき家族のこともわからなくなった時期があった。コロナ禍で見舞いもできない時期、思い出してもらおうと娘が手作りした家族のアルバム」だと話す。

 

夫婦共に、孫からカープの試合観戦に誘われたのがきっかけで、カープファンになったという。家族みんなで観戦に行く時は、ご主人が朝から買い物に行って、みんなの弁当を作り、ご主人手製の弁当を広げて食べるのが恒例だったとも。「孫たちもみんなそれぞれ自分の弁当をリュックサックに入れて、まるで遠足に行くようだった」と、振り返る。

 

「主人は新井選手のファンだった。形見のサイン入りユニフォームを今、私が代わりに着て応援している。主人は新井さんの監督就任を知らずに他界。生きていたら観戦に行きたかっただろう。ずっと監督でいてほしい」と願う掛谷さん。「夫婦にとって、年をとってから共通の話題ができて嬉しかった。6月21日で生きていたら結婚42周年。これ(同取材)もご縁かな・・・」とつぶやいた。同行ディレクターは「父の日について行ったら、亡き父と応援を続ける家族に出会った」と感想を。

 

また、思わずついて行くのを断念したのは、姫路在住のファンと、台湾の台北から応援に駆けつけたファン。「遠すぎたため」だと明かした。

 

広島ホームテレビ『カープ道』(水曜深夜) 8月16日放送

ライター 湯谷葉子

 

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