18歳、辻大雅。「あのとき野球を辞めなくてよかった。絶対に恩返しをします」
育成選手としてカープに入団した辻大雅投手の成長スピードに驚いている。初めて見たのは去年の夏の甲子園。名門・二松学舎大付属高校の背番号1を背負い、エースとしてマウンドに立っていた。
次に見たのが今季の春季キャンプ。宮崎県日南市にある東光寺球場のブルペンで、ドラフト1位ルーキー斉藤優汰投手の隣で辻の投げる姿があった。甲子園のときとはまるで別人のように力強い真っ直ぐをバンバン投げており、その成長に驚いた。
■ 両親がどん底から助けてくれた。
彼が野球を始めたきっかけは4つ上と2つ上の兄達だった。先に野球を始めた2人の兄を見て、楽しそうだからとすぐにボールを触るようになった。5歳くらいのときにはキャッチボールが日課になり、ずっと「兄を超えたい」という目標で頑張ってきた。プロ野球選手という夢を意識するようになったのは中学生になってからだ。家族にもその夢は伝えていた。
しかし、高校1年で早くも左肘の疲労骨折が判明し、リハビリに1年近くかかると診断された。頭が真っ白になった。プロ野球選手になるためにずっと続けてきたのに、こんなところでボールを投げられなくなるなんて。
辻は悩んだ末に決断した。
「もう野球を辞めよう」
もしリハビリを続けたとしても痛みが完全には無くならないかもしれない。チームにも迷惑をかけてしまうし、プロ野球選手になれないのならずっと支えてくれた家族にも申し訳がない。いや…あのときの本音は、もう自分の心が折れてしまっていたからだった。
「怪我をしてからずっと肘が痛い。多分もう厳しいと思う。野球を辞めたい」
勇気を出して両親に本音をぶつけた。親はなんて言うだろう。悲しむかもな。でも仕方ない、もう野球を辞めるんだ。返ってきた答えはこうだった。
「今まで何の為にやってきたの?野球を辞めて本当に後悔はしないか?」
息子の心が折れていることには気付いていた。ただ、一度壁にぶつかっただけで、今までやってきた努力の全てを捨ててほしくはなかった。そして息子の口から何度も聞いた「将来は絶対にプロ野球選手になる」という夢をこんな形で諦めて、後悔だけはして欲しくなかったからだ。両親の言葉にハッとした。今まで何の為に、どれだけ頑張ってきたのか、気づかせてもらえた。どん底に落ちていた辻大雅を救ってくれたのは家族だった。
■ルーキーイヤーの現在地
プロ1年目、ここまでは実戦での登板機会もあり、順調に歩み始めている。
練習だけではわからなかった今の実力や課題が、試合で投げることでわかってきたという。
「一番の手応えは真っ直ぐで押せている部分です。ストレートで空振りを取れたり、ファールを取れたりと、自分でも納得のいく球が投げられています。課題は変化球。しっかりストライクを取れるようにしたいです」
納得のいくストレートを投じられたのは、5月24日に由宇球場で行われたウエスタン・リーグのオリックス戦。この日、辻は9回のマウンドに上がったのだが、これが対外試合での“プロ初登板”となった。
最後の打者の佐野如一選手を三振に抑えたときの、インコースに投げた球が指にしっかりとかかって気持ちよかったと振り返ってくれた。
そして、実はこの日、両親が神奈川から由宇練習場まで息子の初登板を見るために車で来てくれていたそうだ。試合終わりで両親から「高校のときより全然変わったね、頑張ってるね」と声をかけてもらえた。自分の中でも成長を感じられたし、何よりもプロ野球のユニフォームを着て投げている姿を親に見せられたことがすごく嬉しかった。
カープに入団した際に、大野寮に持ってきた宝物がある。子供の頃からずっと大事にしてきたグローブだ。
辻が小学5年生ぐらいの時からずっと野球を教えてくれていた佐藤コーチという方がいた。中学に上がるときには「うちで一緒に野球をやろうよ」とクラブチームにも誘ってもらった。この人について行けばもっともっと野球が上手くなる、そう思って迷わずコーチが所属していた中学のクラブチームに入った。しかし、佐藤コーチは辻が入ってすぐに辞めてしまった。辞める直前に呼びだされ「申し訳ない」と突然謝られた。何があったのかは理由はわからない。最後に「もし良かったら使ってくれ」と佐藤コーチが使っていたグローブを渡された。
そのグローブは中学高校とずっと大事に使ってきた。高3夏の甲子園で使ったグローブはまた別のものだが、御守り代わりにカバンに入れて持って行っていた。
今も大野寮の部屋で見える場所に置いている。コーチを辞めると聞いたときは寂しかったけど、佐藤コーチが声をかけてくれたおかげで中学から本気で野球に取り組めた。あのとき中学のクラブチームに誘ってもらっていなかったら、今の自分は無かっただろう。これから先、プロ野球の世界で活躍する姿をきっと楽しみにしてくれているはずだ。
辻大雅にはこれからの目標がいくつもある。
「まずはファームでしっかりと力をつけて、結果を出し、早く支配下選手になること。そして一軍で投げて、プロ初勝利のウイニングボールを家族にあげたいです」
将来どんな投手に成長していくのか、これからも見守っていきたい。
取材・ライター/ゴッホ向井