【ファンの方を大事に】北別府学 ファンレターへの返事|カープ道リレーコラム第8回
ライター/尾関高文(ザ・ギース)
1986年、カープとライオンズの日本シリーズ。当時小学生だった僕は教室で北別府さんのピッチングを観戦していました。今では信じられませんが当時の日本シリーズは平日の昼間に行われ、先生によっては日本シリーズ鑑賞会が催されていました。
今でも目に焼きついている北別府さんのピッチング。子供心に「北別府」という名前には特別な響きを感じていました。野球ゲームもそうでした。カープを使う誰もが「きたへふ」で相手チームを手玉に取ったものです。カープファンだけでなく日本全国の野球ファンに愛されたピッチャーでした。
北別府さんとの出会い
そんな北別府さんに僕が初めてお会いしたのは、広島でのイベントでした。アメトークカープ芸人の回で、「北別府さんのブログにコメントすると全て返事をくれる」と話したために北別府さんのブログに書き込みが殺到してしまったのですが、それを謝罪すると「何も気にしてないよ。テレビで言ってくれてありがとうね。」と優しい言葉をかけていただきました。それ以来テレビやイベントなどでご一緒したのですが、これがあのマウンドで鬼の形相で投げていた方かと思うほど穏やかで冗談が大好きな方でした。
現役時代に自分を過酷な状況に置き、常にギリギリのところで勝負されていた北別府さん。奥様も言っておられましたが、引退してファンの皆さんと触れ合うことで本来の優しいお人柄が顕著に現れていたきがします。
ブログを誰よりも早く始められたのもそうです。ブログで丁寧にファンの皆様と交流する姿に意外性を感じた方も多かったことでしょう。北別府大忘年会と銘打ってファンの方との触れ合いを大事にしたり、家庭菜園好きが高じて講演会まで行われていましたね。
古いタイプの方というイメージがありましたが、誰よりも新しいものにチャレンジする方でした。ポケモンG Oなどは出た瞬間に始められ、たまにお会いすると「レベル2までいったんよ」と教えてくれたこともありました。メダカを飼われた時もメダカが100匹を超えたと喜んでおられました。
北別府さんからファンレターへの返事
そんな本来の優しい顔を閉ざしてまで厳しくあった現役時代でしたが、とある知り合いから以前こんなものを見せてもらったことがあります。
そう、北別府さんからのファンレターへの返事です。この方は当時高校生だったそうなのですが、北別府さんが大好きでこのファンレターを送ったとのこと。あんなにも普段怖いほどの雰囲気で投げられている方なので返事を全く期待していなかったそうですが、返事が届いて本当に嬉しかったとおっしゃっておられました。
しかも返事に北別府さんの人柄も出ていますよね。仲の良かった選手が三村さんというのも感慨深いものがあります。そして「ガールフレンドはいますか?」という若者のくだけた質問にも「いちよう友はいます」ときちんと答えてくれています。好きな言葉が「一歩前進」というのも北別府さんが着実に一歩一歩努力されていたことが伺えますね。
ファンの手紙にお返事を書いてくれているのに、最後「乱筆乱文お許しください」とおっしゃっているところに北別府さんの誠実さを感じます。あんなに自分を追い込まれている現役時代ですら、実は人知れずファンの皆さんとの交流をされていたのでした。
今でも北別府さんが亡くなってしまったことが信じられません。目を閉じると、不思議なもので大活躍をされていた現役の北別府さんではなく、笑顔でテレビ番組や農園におられる姿ばかりが思い出されます。
誰よりも自分を追い込まれていた北別府さん。25年ぶりの優勝の時、眠気を押して優勝特番で大喜びしていた北別府さん。スナップエンドウの育てやすさを嬉しそうに教えてくれた北別府さん。ご自身の名前がついている「惑星北別府」のように遥か彼方から、カープをそしてカープファンをずっと見守ってくれることでしょう。
本当に今までありがとうございました。
広島ホームテレビで毎週水曜深夜に放送されている「カープ道」。カープを知らない、興味ない、乗っかりたい人必見のカープ学習番組です。CarpCarpCarpでは、毎週木曜日に番組出演者によるリレーコラムを掲載中です。